石井淳平
4 min readMar 2, 2018

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それほどつらい仕事とは思えないのに公務員が病んでしまう理由

“Two people in elegant shirts brainstorming over a sheet of paper near two laptops” by Helloquence on Unsplash

世の中には公務員よりつらい仕事がたくさんあるはずなのに、どうして公務員ばっかりメンタルが病んでしまうんだろう?

たしかにそうだよねー。
事務系の公務員は肉体的にはとても楽だし、仕事量が多いというのは確かにあてはまる面もあるけれど、じゃあ人を増やしたらメンタルの問題は減るのか、と言われるとそうでもない気がします。
仕事自体の辛さとか多さと、メンタル問題の発生率は比例していない気がします。

チームワークと個人のスペック

少し脱線しますが、高校時代にラグビーをやっていました。
ラグビーというスポーツは、ご存じの方も多いと思いますが、前にパスすることができません。
ボールをもっているときは、基本的に味方が見えていない状態になります。
(見えている味方はオフサイド状態)

見えない味方とコミュニケーションを働かせる最大のポイントは「相手のスペックを熟知する」ことです。
「このスピードで走ると右サイドのあいつはついてこれてない」、「これ以上ボールをもち続けると左サイドのあいつの速度が飽和する」とか、味方の運動能力をよく理解していることが、一番の強みになります。

能力が高いか低いかではなく、能力を把握しているかどうか

つまり、「チームワークが機能している」ということは、自分も含めてチームメイトが互いの能力を熟知しつつ、その知識を活用できる状況のことだと言えます。
能力の高低とチームワークは原理的に無関係です。

公務員は能力を把握されているか

ところで、公務員は全員一定の能力をもつことが前提となっているようです。
建前上は「職階制」なので、職に応じた能力を持てばよいということになっていますが、現実には年齢によって職階が定まるので、ある年齢層にはある一定の能力が求められます。

こうした能力の管理方法が公務員のメンタルヘルスの問題と関係があるように思います。

全員が同じ能力を要求される辛さ

公務員はいわば、全員が100mを11秒で走り、ベンチプレスを90kg持ち上げることが要求されるラグビーチームのようなものです。
両方ともクリアできる選手はすばらしいと思いますが、個人の能力の向上は、本来組織としてコントロールできる性質のものではありません。

しかし、公務員の場合、基本的には同じ能力が求められ、異動した先の職場でも前任者と同じスペックで仕事を行うことが要求されます。

選手に合わせて戦略を練り直すのが当然

チームスポーツの場合、全員が同じ能力を要求されることはありません。
個々の選手に能力差があることはチームとして折り込み済みでなければなりません。
ボジションが変われば、その選手にあわせて戦略を練り直すことが当然です。
しかし、公務員の場合、人が変わっても組織の戦略を変えることは基本的にありません。

あまりにもタイトな「地頭の良さ」

仕事をする上で、一定水準の能力が必要なことは当然なのですが、公務員の場合、その能力水準が非常にタイトに設定されているように思います。
また、頻繁な人事異動(通常2〜3年)は、専門的な経験の蓄積が難しく、新しい職場や環境への適応には、個人の「素の能力」が大きく影響します。
いわゆる「地頭が良い」人間が重宝されるのですが、そこで求められる「地頭の良さ」が年々タイトになってきているのではないかと思っています。

組織に人間が合わせた末に起こること

結局のところ、組織と個人の関係が、本来あるべき姿から離れていくほど、問題が増えていくのだと思います。
組織の意義は、容易には変えられない個人の能力差を集団でカバーして全方位的な危機対応をやっていこうね、というところにあるはずです。
選手が変われば戦略が変わるということが、組織の本質であるはずです。
しかし、公務職場では組織に人間があわせていく度合いが強く、「チームワーク」ということが、個人のスペックを均一にすることと同義になってしまっているように思います。
その結果、「地頭の良さ」のような単一的かつ改善困難な要素で職員の評価が定まってしまうということになります。

一種の過剰適応を要求されるところに、公務職場では仕事内容の割にメンタルの問題が多く発生する原因があるのではないかと感じています。

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石井淳平

文化財保護、博物館について地方自治体職員の立場から意見を述べます。富山大学人文学部卒業(考古学専攻)、北海道埋蔵文化財センター、厚沢部町教育委員会、厚沢部町役場